心臓に毛は生えているか
私は昔、何でもかんでも受け入れて、
お人好し、八方美人に成り下がった時期があった。
それが優しい人だと思っていた時期があった。
世渡り上手に利用されて、悔しい思いもした。
だから今は、心臓に毛を生やした。
嫌なものは嫌と言える人になると決めた。
嫌われる勇気を手に入れる努力をした。
昔は皆に好かれないといけないと思っていたが、
そのせいでつらい思いをたくさん経験するハメになった。
だから自分を守るために、嫌な人にいい顔をする必要はないと決めた。
そんなの当たり前にできる人もいるだろうけど、
できない人も多いし、できない人がいると知らない人もいるだろう。
だから、利用されてつらい経験をする人がいることを、知らないという人もいるだろう。
私は、嫌なことに嫌と言える人と、言えない人の、2通りの考え方をする人がいることに気づいた。
だから私はできる限り、利用されないために嫌なことは嫌ということにした。
嫌なものに嫌と言うのと、心が狭いのとは、大きな違いがある。
まったくの別物である。
仕事をする上で、意見が合わない人とチームを組むことがある。
そんな時はどうする?
達成しなければならない目的をはっきりさせて、そのために何をするべきかを洗い出す。
無駄な議論は避けて、その作業に徹する。
それに尽きる。
本当はチームメンバーの人柄を知り合うことで、打ち解け合うのが最善だろう。
ただそれもメンバーによっては難しいこともある。
そんな時は、兎に角やるべきことだけをはっきりさせて、決着をつける。
それ以上でも以下でもない。
ビジネスライクなメンバーと120%の仕事はできないので、合格点ギリギリを目指すことになるが仕方ない。
面倒なことが起こりそうになったら的確な上司に相談して、トップダウンでなんとかするしかないと思う。
数年前、父に言われたことがある。
仕事はどんなに理不尽なことでも、自分が悪くなくても、頭を下げるものなのだ。
その我慢の代償に給料をもらうのだ。
その代わり、趣味では絶対にそんなことはしない。
自分の好きでやっていることで、我慢する必要はない。
気の合う仲間とだけ仲良くして、楽しい時間を送るのだ。
私はこの意見が心に突き刺さった。
そして父を尊敬した。
自分の人生は、自分が主人公なのだ。
そして自分の力でいくらでも変えられる。
人間関係に苦労している人よ、早く気づけ!